悩むと考えるの違い-川口竜太の指導論⑤-
ああでもない、こうでもないと、ひとり悶々としたり、直面している問題をややこしくしたり、ずるずると時間を引き延ばし、結論を先送りにする。
それが悩むということです。
「あのとき、違う判断をしていたら」
「ゴール前のチャレンジが足りないのか」
…など悩むことはたくさんあります。
そして、悩むという行為には答えがありません。
悩み続ける自分を追い込み過ぎると悪循環が生まれる
「悩んでいる、ぐるぐると同じことを考えている」=「成長していない」もしくは、「自分はだらしない」と思ってしまうことはありませんか。
私自身は、自分への問いに即答できていないことへの苛立ちを感じたときに、悩む自分に対して自己嫌悪に陥っていました。
そういうときほど「早く結論を出さないといけない」と焦り、疲れていても活動量を増やして自分を追い込んだり、悩むことに疲れて「誰にも会いたくない」「人に相談しても意味がない」と殻に閉じこもってしまっていました。
【『悩む』から『考える』へ】
逆に「考えすぎだよ」「もっと気楽でいいのに」と言われると、悩んでいる自分を否定される感覚もあります。
しかし、悩むということはそれだけ真摯にサッカーと向き合っている証拠です。
それは悪いことでしょうか。私はそうは思いません。
ただ、『悩む』から『考える』のシフトチェンジが必要なのです。
悩むというのは、答えを手にしたいのにその答えが手に入らず同じところをぐるぐると回っているような状態。一方、考えるというのは、答え探すのではなく、答えに至る問いを自分の中で立てるプロセスのこと。
この思考のシフトチェンジのフォローこそ指導者の役目であると信じています。
自分の人生を乗り越えていくために
今の時代、携帯一つで様々な答えが簡単に見つかります。これでいいんだと思い込ませて、すっきり、さっぱりさせることは可能かもしれません。
しかし、それは自分自身で悩み、苦しんで出した答えではありません。
自分で考えていかないとすぐにまた同じ悩みが生まれてくるはずです。
そんなサッカーを愛している選手たちと同じ目線で私は心と心を繋いでいきたい。
一緒に悩ませて欲しい。
そして、悩むことから考えることへシフトチェンジさせていきたい。
それはいつか将来の分岐点にじっくりと自分と向き合い、自分で乗り越えてほしいと願っているからです。