Ryota’s diary -日々のあわ-

不定期ですが、これから考えたこと、チャレンジを受けたこと、びびったこと、嬉しかったことなどの日々の出来事を書いていきます

ブランディングとは

ブランディングとは

 

「意識的にこちらがしていることを相手の無意識の中に介在させること」

 

だとすると

指導者も選手に落とし込む部分って全く同じな気がします。

 

どこにこだわるのか

どこにもっていかせるのか

どこに目標があるのか

 

結局サッカーって社会の縮図なんですよね。

 

大きなピッチの中で、一つのチーム(社会)が、競い合うチームに対して、ルール(法律)という制約の中で「自由に」動くことを許されている。失敗をすることは前提で、その度に次へ、次へと進んで行かなければ、生き続けていくことは出来ない。

 

他人と協力してプレーをすること(生きていくこと)も出来るが、一人で生きていくことも出来る。そして、一人で生きていると思っている人間は、決して一人で生きてはいないのだ。

 

社会の常識(サッカーの原理原則)は存在するし、「こうやって生きた方が効率がいい」という指標(戦術戦略)は謳われるが、それはそれでしかない。目的(ゴール)を達成するためには、実際、何をしても良いのだけれど。

 

ややこしいのはファール(罪)は犯してはいけないが犯すこともできる。だから世の中(サッカー)には、私たちが生きている時間より、遥か、遥か前から、倫理や哲学が存在しているのだ。それは「〇〇=悪」と、ただただ受け入れることではない。

 

決定までの間に、つまり「=」にはプロセスが存在する。そのプロセスには思考や対話が含まれていなければならない。

 

例えば「社会を生きる人間(サッカーをする人間)」は、自分が何か本当に求めているものを掴もうとした時、罪を犯してもいいのだろうか?それが、誰か大切な人(試合を決定づけるゴール、それも人生を決めるかもしれない試合で…)を守るためだったら?あなたは、食べる物がなくて死が見えた時、お店から物を盗まないと、今、断言できるだろうか。

 

サッカーとは、そういうことだ。

 

罪を犯すことを正当化しているわけではないし、それをオススメしているわけでもない。それこそ、全人類が罪を犯さない世界が理想なのかもしれない。けど、それはサッカーの本質(社会の縮図)ではない。

 

だからこそ、指導者はブランディングしていくことが何よりも重要なんだろう。

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