Ryota’s diary -日々のあわ-

不定期ですが、これから考えたこと、チャレンジを受けたこと、びびったこと、嬉しかったことなどの日々の出来事を書いていきます

自分が感動することを知りたい

昨年はコロナの影響により生活スタイルが変化し、子育ても始まりなおさら1日のルーティンが変化していきました。

 

その中で仕事や育児の貴重な隙間時間に携帯を触りSNSをイジり、無意識にたくさんの情報を浴びていて、思考が「他者からどう見られているか」に変化していることに気づきました。(シェアすることを前提に本を読んだり、食事を食べたりすることなど…)

 

自分自身の行動や思考は他人の評価軸に合わせることなく自分の評価(自己評価)を大切にしたいなぁと思い始めました。

 

なので2021年は個人のTwitterInstagramSNSを辞めて、他者の活動や他者の評価軸に無理に合わせることをやめて自分のワクワクする感動を大切にすることを取り組みました。

 

日々感じたことや思ったことを日記のように自由に書き出し、 自分の感情と思考を振り返ることで、 今まで気づかなかった自己の感情の揺れ動きや思考パターン、 価値観や願望などを発見することができる「muute」というアプリを使って日々感情をフィードバックするトレーニングもしています。

muute (ミュート) - AIジャーナリングアプリ

f:id:kawaguchiryota:20210207151813j:image

 

改めて今年自分がワクワクするもの、感動するものを手に入れていきたいと思う2021年です!みなさんはいつ感動されましたか?

 

障がい者視点

知人の「ゆるスポーツ」関係者との雑談からものすごい気付きがあったのでお話したいと思います。

世界ゆるスポーツ協会

f:id:kawaguchiryota:20210208202852j:image

共通点

ライターとストローにはある共通点があります。何だと思いますか?実は障がい者が起点となって発明されたものなのです。


ライターの発明者は、戦争で片腕を失った兵士だそうです。よくよく考えるとマッチは、両手がないと火をつけられないんですね。そこで、試行錯誤の末に生まれたのが、「片手でもタバコに火をつけられるライター」なんです。


ストローの発明者は、生まれつき全身が動かない方だったそうです。もちろん、一人で飲み物を飲むことができません。コップを口でくわえたとしても支える両手が動かないので、飲む為には口を開く必要があり、そうすると必然的にコップが落ちてしまいます。そこで考えられたのが、「手を使わないでも飲料が飲めるストロー」でした。


障がい者起点で考えられたこれらの製品は今ではすべての人にとって便利なものになりました。障がい者目線というのは、発見の山であり、宝の山なんですよね。

 

スポーツに置き換えると

例えば、ブラインドサッカーやイモムシラグビーなどのゆるスポーツというジャンルは彼ら(障がい者)がスポーツとして楽しむことができるか。健常者といい勝負ができるか。そんな観点を大切にしてあります。すると、老若男女関係なく、誰もが楽しめるスポーツができあがります。

f:id:kawaguchiryota:20210208202901j:image

 


先ほどのライターやマッチと同じ発想ですよね。このこと以外に障がい者視点で物事を考えると、色んな問題を解決できるようになったりするなぁという気付きでした。

 

振り返り

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年の目標を決める前に「振り返る」ことが大切だと実感しています。きちんと振り返ることで次の行動を変えることができます。ただ経験することだけでは実はあまり意味がありません。

 

昔、なんでも成長の糧になると思い込み、振り返らずにどんどん次の経験をしたくなって行動していました。何かが終わるとすぐに次の経験を…みたいな感じです。


しかし、その都度きちんと振り返らないと前回と同じアウトプットになってしまい、パフォーマンスも低下します。振り返ることで自分の内在的な人生の価値とはを何か理解することが出来ますし、記憶の定着にもつながります。


振り返り方

振り返りは「出来事→感情→気付き」の順番です。今日1日どんなことがあったのか。それに対しての感情はどうだったか。また、その感情からの気付きはなんだったのか。このように振り返ります。

 

1日を振り返ること、1週間を振り返ること、1年を振り返ることで自然と自分の目標や夢が見えてくると思います。大きい変化に期待せず、毎日小さな変化を感じれるようになりたい2021年です。

f:id:kawaguchiryota:20210207152509j:image

 

内田篤人引退

8月23(日)に内田篤人選手が引退しました。

f:id:kawaguchiryota:20210208203221j:image

内田選手はルックスがカッコ良くて有名なのもありますが、選手としての能力も素晴らしかったです。ピッチを俯瞰したような視野から数本先を見据えたようなボールを配球し、チームのポゼッションを整えてしまう現代型サイドバックの先駆けでした。その内田選手はキャリア後半は膝の怪我に悩まされ、日本に帰国しても思い通りのプレーが出来ず先日の引退に至りました。

 

怪我

さて、今回特にフォーカスしたいのが「怪我」です。これは誰にも起こることですし、向き合い方がとても大切になります。怪我をしたり、負けることが自分のやっていることを問うきっかけになります。

 

人間ってうまくいっている時はあまり考えませんし、深刻になりません。しかし負けて悔しいとか怪我で辛いと「誰とも会いたくない」「ひとりになりたい」という気持ちになります。人間って実は孤独になることも必要なんです。日々集団生活に身を置いているところから、ひとりになって自分を見つめる時間が大切になってくるんです。

 

怪我=自分自身と向き合うきっかけなんです。

 

 


内田選手は右膝の怪我についてこう答えています。

「この膝はよく頑張ったんじゃないかなと。ほぼ潰れる覚悟でW杯だったりCLを戦ってきましたし、自分が選択したことですし、本当にいろんな人に治してもらって強くしてもらった膝なので、いい思い出がいっぱいです。」

 


テクニックは人から教わることができますが、ハートは自分自分で鍛えるしかありません。しかし、ハートを鍛えることで新たな自分に出会えるかもしれません。というお話でした。そして、内田選手本当にお疲れ様でした。

その人を見る

育成年代の面白味

中学3年間教えていた選手が高校サッカー選手権大会東京都予選で優勝しました。しかも、準決勝、決勝ともに得点という結果を出しています。正月の全国高校サッカーが楽しみになりました。

f:id:kawaguchiryota:20201116135801j:image


改めて育成年代の面白味を実感します。有名ではない人、何も成し遂げてない人というのはまだ世間的には評判されてない人であるということなんですよね。

 


いくらでも伸び代がありますし、これから評価される方もたくさんいます。

 


そんな先の未来を見据えて指導する喜びを感じることに指導者としての生きがいを感じたりします。


成功の定義

サッカーとしてプロになった知り合いもいます。プロになるというのは世の中の成功を手に入れたようなものですよね。


プロになって活躍している教え子もいますし、今、仲良くさせてもらっている方もいます。

 

f:id:kawaguchiryota:20201116202803j:image


有名な人や何かを成し遂げた人など、そのような方はそのような方の悩み、葛藤、不安などもありますし、結局そのままの人間なんですよね。


そんな様々な側面を見ることで感じることは

一瞬、一瞬を点で見ると成功なんでしょうけど、長い人生の中での成功ってなんだろうなぁという疑問を感じています。

 

納得感

成功に縛られてしまうと何かの比較対象になってしまいます。なので自分自身が納得できることがとても大切だと感じています。(俺は納得して死にたい)

 

それは、今とこれからを生きていくには「いろんな人間と調和ができるかが不可欠」だからです。

 

人種や宗教、境遇が違う人たちの立場や視点で理解できるかどうか。理解しようと受容できる範囲が広ければ広いほど、価値が発揮できる時代になっていますよね。

 

そもそも同じ日本に暮らしている人同士だって、その特性や立場、状態、モノの見方、思考は100人いれば100通りありますよね。

スタンダードやロールモデルがない社会が加速しているからこそ、「深さよりも範囲」のほうが大事になっている。そんな感覚があります。

 

「相手をジャッジせずに受け取れるか」が重要であるともいえますね。

 

kawaguchiryota.hatenablog.com

 

 

偏見なく人を見れるかどうか。

日々試行錯誤しています。

ではでは。

f:id:kawaguchiryota:20201116135932j:image

 

 

贈与とは

最近素晴らしい本に出会いました。

 

日々忙しく生きる中で「贈与」に気付かずに生きていることがたくさんあります。

 

気付き①両親への感謝

育児している娘への贈与を娘が気づき感謝することはないですし、そもそも子育てには感謝など起きません。しかし、代わりに子育てをしながら、自分の中で両親への感謝が芽生えます。

自分が子育てをしなければ、両親の贈与に気づくことができなかったなぁと思います。子育てとは、両親が僕にしてくれた贈与に気づくきっかけをくれる行為なのだと感じます。

 

気付き②夫婦

夫婦も贈与で関係が成立しています。役割の交換ではありません。相手のためを思ってした行為の全てを、お互いが理解するわけではありません。相手の贈与に気づき、自分も相手に贈与する。そうすることで、家庭という場が維持され、関係が更新されるんだと思います。(役割分担をしあう関係には限界がくる。)

 

気付き③贈与は呪いになる

基本的には仕事上の付き合いだけでは信頼を得ることはできないとおもいます。交換論理。Give and takeの関係ですからね。

 

この関係、逆を言えば「お前の変わりはほかにいる」というメッセージになりますね。だから、仕事がなくなってしまうと孤立になります。

 

交換のロジックでは、交換できるものを持たないものは、社会的価値がなくなります。

 

本の中で、贈与の特徴を示す例として紹介されていたのが、年老いた母を抱え仕事がなくなり失業保険の給付が終わって、心中という選択をした男性の話。


その方が死を選んだ理由は、頼れる相手がいなかったか、頼りにできる相手がいても自分が相手に返せるものがなかったのではないか。例えばお金を借りるとしても、お金を返せるあてがなければ頼ることはできないと考えたのではないか、と推察されています。

 

しかし、実は私たちが一番つながりを必要とするのは、何も交換できるものを持ち合わせていない時ではないでしょうか。現代は、お金があれば人を頼りにせずに生きていける資本主義の世界です。そして、誰にも頼ることなく生きていける世界は、裏を返せば自分も誰からも頼りにされることがない世界でもあります。

 

改めて贈与は交換ではない

見返りを必要とする交換と比べて、贈与は相手への感謝や祝福の思いを込めて、リターンの期待なく行われるものです。贈与の受け手は、ある種の負債感を感じます(親の愛も)。それが次なる贈与へとつながり、贈与で社会が回っていく。目に見えないけどそんな仕組みなんだなぁとこの本から学ぶことが出来ました。

 

ではでは。

 

 

 

あいまいの大切さ

本題の前に

意味のないものを書き続けるモチベーションが下がってしまい、ブログを怠ってしまいました。しかし、意味が「ある」か「ない」かは受け取る側の問題であるという言葉を見つけてなるほどと思い再度書こうと思いました。

そもそも、頭の思考をアウトプットしないと新たな思考が生まれにくく、この感覚は身体を洗う感じだったり、ルーティン作りと同じなんですよね。また、不定期に(頑張って週に1度)つらつら綴ります。

 

評価しないこと

20代は正しさより楽しさと言い続けてきましたが、ここ最近はハッキリとした定義づけではなく「あいまい」を大切にしています。それは物事に対しての正しいとか間違っているとかの端的な時間で評価をしないことを意味しています。楽しいとか辛いとかの感情だけに囚われないこと。思考と自我と感情を別にすること。分けることで仕事・家庭・プライベートでの自分が成立しています。

 

価値の基準

仕事での価値は「数字」であり、家庭での価値は「時間」であり、プライベートでの価値は「学び」という感じで分けることで思考と感情も変化します。

 

全て一つの評価軸での物差しでみると自己嫌悪に落ちる傾向にあります。例えば"仕事は出来ても家庭で居場所がない"みたいな感覚です。


そもそも仕事での思考と家庭での思考は違う(価値が違うから)ので、使い分けがとても大切だと実感しています。


"居心地が悪い"と感じるのは他者から(そのコミュニティ内)評価されるからですよね。初めは楽しいで始めたモノ・コトも次第に評価対象や評価基準になっていく(楽しいからプールをやったのに次第に段をとらないと…みたいな)ので、居心地が悪くなります。


バガボンドの「殺し合いの螺旋から降りる」という表現はまさに!という感覚です。

f:id:kawaguchiryota:20201102231917j:image


この時代は天下無双という1つの目標にみんなが向かいます。他者に勝ち続ける限り、誰かを蹴落とし続け、それと同時に自分が狙われ続けなければなりません。これは私達現代人も、このような斬り合いこそないですが、同じように毎日が勝負の世界…生きるか死ぬかの世界に生きています。勝ち負けやどちらが上か?下か?といった螺旋。どちらが勝つか?負けるか?どちらがきれいか?醜いか?どちらが金を持っているか?貧しいか?どちらが頭がいいか?悪いか?等々…。

 

ただ、この螺旋から降りずに生きていく手段を見つけました。それは螺旋を増やすことです。

 

あいまいの本質

評価軸が1つしかないと結局、いつかは疲弊していきます。だから今自分は「あいまい」を大切にしています。自分の中のあいまいの定義は「評価されにくい」ということです。

 

一つの評価軸だけではなく、様々な評価軸を組み合わせていくことで価値が変化していくことです。例えば100万人の中で1位を目指すのではなく、100人の中で1位を目指すジャンルを3つ掛け合わせていけば100万人の中で1位の価値に出来ますよね。

 

このように様々なジャンルを掛け合わせていくことで、簡単に評価されにくい人物になるのではないかと思考しています。

 

一個に絞ってどこまでいくか。という考えの原点は「教育」だと思います。(悪いとは言ってません。) 例えば、昔は部活の掛け持ちなんてできなかったですし、学校の先生に子どもの時に夢はなんですか?って言われて5個以上夢を書き出したら1個にしなさいって言われたような気がします。

 

しかし、今副業時代とも言われていて、ビジネスも一個に絞らなくても良い時代になっていています。何かを成し遂げて他者から評価されるよりも、自分自身の基準・評価の中での充実感を大切にしていくことのほうが人生豊かになるのではと思う今日この頃です。

 

ではでは。

f:id:kawaguchiryota:20201102233152j:image