あいまいの大切さ
本題の前に
意味のないものを書き続けるモチベーションが下がってしまい、ブログを怠ってしまいました。しかし、意味が「ある」か「ない」かは受け取る側の問題であるという言葉を見つけてなるほどと思い再度書こうと思いました。
そもそも、頭の思考をアウトプットしないと新たな思考が生まれにくく、この感覚は身体を洗う感じだったり、ルーティン作りと同じなんですよね。また、不定期に(頑張って週に1度)つらつら綴ります。
評価しないこと
20代は正しさより楽しさと言い続けてきましたが、ここ最近はハッキリとした定義づけではなく「あいまい」を大切にしています。それは物事に対しての正しいとか間違っているとかの端的な時間で評価をしないことを意味しています。楽しいとか辛いとかの感情だけに囚われないこと。思考と自我と感情を別にすること。分けることで仕事・家庭・プライベートでの自分が成立しています。
価値の基準
仕事での価値は「数字」であり、家庭での価値は「時間」であり、プライベートでの価値は「学び」という感じで分けることで思考と感情も変化します。
全て一つの評価軸での物差しでみると自己嫌悪に落ちる傾向にあります。例えば"仕事は出来ても家庭で居場所がない"みたいな感覚です。
そもそも仕事での思考と家庭での思考は違う(価値が違うから)ので、使い分けがとても大切だと実感しています。
"居心地が悪い"と感じるのは他者から(そのコミュニティ内)評価されるからですよね。初めは楽しいで始めたモノ・コトも次第に評価対象や評価基準になっていく(楽しいからプールをやったのに次第に段をとらないと…みたいな)ので、居心地が悪くなります。
バガボンドの「殺し合いの螺旋から降りる」という表現はまさに!という感覚です。
この時代は天下無双という1つの目標にみんなが向かいます。他者に勝ち続ける限り、誰かを蹴落とし続け、それと同時に自分が狙われ続けなければなりません。これは私達現代人も、このような斬り合いこそないですが、同じように毎日が勝負の世界…生きるか死ぬかの世界に生きています。勝ち負けやどちらが上か?下か?といった螺旋。どちらが勝つか?負けるか?どちらがきれいか?醜いか?どちらが金を持っているか?貧しいか?どちらが頭がいいか?悪いか?等々…。
ただ、この螺旋から降りずに生きていく手段を見つけました。それは螺旋を増やすことです。
あいまいの本質
評価軸が1つしかないと結局、いつかは疲弊していきます。だから今自分は「あいまい」を大切にしています。自分の中のあいまいの定義は「評価されにくい」ということです。
一つの評価軸だけではなく、様々な評価軸を組み合わせていくことで価値が変化していくことです。例えば100万人の中で1位を目指すのではなく、100人の中で1位を目指すジャンルを3つ掛け合わせていけば100万人の中で1位の価値に出来ますよね。
このように様々なジャンルを掛け合わせていくことで、簡単に評価されにくい人物になるのではないかと思考しています。
一個に絞ってどこまでいくか。という考えの原点は「教育」だと思います。(悪いとは言ってません。) 例えば、昔は部活の掛け持ちなんてできなかったですし、学校の先生に子どもの時に夢はなんですか?って言われて5個以上夢を書き出したら1個にしなさいって言われたような気がします。
しかし、今副業時代とも言われていて、ビジネスも一個に絞らなくても良い時代になっていています。何かを成し遂げて他者から評価されるよりも、自分自身の基準・評価の中での充実感を大切にしていくことのほうが人生豊かになるのではと思う今日この頃です。
ではでは。