自分の理由でやりたい
挑戦って同調圧力
最近「挑戦」という言葉を聞いた時に、とても強いメッセージ性と同時にかなり鋭利な尖った印象を抱きます。
それは、挑戦という言葉に対する抵抗感に似た様なものです。正直、挑戦という言葉があまり得意でない人の方がこの世の中多いんじゃないかと思うんです。
「挑戦だ〜!」っていうと何かに追い立てられる様な焦燥感。
例えるなら、自己肯定感問題に近いです。
自己肯定感が低い人って日本にはたくさんいると思います。そういう人って自己肯定感が高い人を見ると結構、劣等感に陥るんですよね。けど、世の中的(ビジネス本とか特に)には自己肯定感が高くないとダメだし、低い人をどうにかして高くしようとするじゃないですか。
これと挑戦って似てるように感じるんですよね。
夢中とは
一方で、好きなことに夢中になってるのはとても楽しい時間ですよね。けどこれは「挑戦」という概念に括ってよいか非常に悩みます。
個人的な感覚では挑戦の成分には拘束、束縛、統制、強制といったものが含まれていると感じています。
#やらなければいけない
#行動力
#使命感
…みたいな感じです。最近の自分にはとても苦手です。
それよりも自由な感覚に近い「ワクワク」が湧き出るような行為を大切にしています。
では、自由とはなんでしょうか。
自由と他由
自由を訓読みしてみると、「自らに由(よ)る」とか「自分に理由がある」と読めますよね。
「自分がやりたい」とか「意味がある」と思うことを選んでいるので、「自分に理由がある」というはしっくりきます。
なので、対義語は「他由(たゆう)」です。
他人に理由があって動いている状態ですね。他人がやれと言うからやる。それが、他由です。
自由な挑戦とは
以上を踏まえると自由な挑戦というのは自分がやりたくて、意義や意味があることなんだと思います。
そういう感覚を手に入れるためにはスタートは他人から影響されたことでも、自分で意味づけをして「自分がやりたい」と思えれば、それは自由と呼べますよね。
多くの仕事(もしかしたら全てに当てはまるかも)は、他由からはじまりますが、この思考法で大抵の場合は、仕事の意味を自分で解釈して、他由を自由に転換できるように思います。
つまんない仕事だったり、家事や育児も仕事も、視点や解釈を変えてみることって面白くなるかもしれません。