評価も判断もしない
今回は子どもから学んだことについてです。
日々の育児ので大きく変わったのは「見方」です。子どもが産まれるの人の見方と、子どもが産まれた後の人の見方では大きく違います。
人を機能としてみていた自分
仕事で大きな目標に対して向かっていく時、当然できる人とできない人がいます。この人はこれが出来るからいい。この人はこれが出来ないからダメだって思っていると人間って信頼関係が築けないなぁと思わされました。
もちろん、出来ないことは事実として認知するけど、それだけの視点で見てはいけないですよね。そうなると見てるつもりはないけど、人を道具として考えてしまうことが過去を振り返るとたくさんあったように思います。
自分の子どもを育てていくと、当然一人で飯も食べれないし、おむつも替えられない。喋れないし、歩けません。
けど、「何をするか」という視点だけでみるのではなく、その「存在」が多くの人を元気にしてくれるのです。存在しているだけでです。
そういう思考になると倫理観だけはだめですよね。安易に○○良いとか○○悪いとかいえません。
人は理解できない
人を本当の意味で理解することは絶対に出来ません。当たり前ですが、分からないんです。人が人を理解することが出来ないのは当たり前。けど、大事なのは理解しようとする心の在り方なんだと実感しています。そこが人の感情に大きな影響を与えると思います。
例えば、自分が妻のことをちゃんと分かっているかなんて、妻にはそこまで大切ではなくて、本当に大切なのは俺が妻を分かろうとしていること(心の在り方)です。
子どもも全く同じです。赤ちゃんなので何を言ってるのか、何を考えているのか分かりません。けど、子ども対して分かろうとする行為や想いが大切だと思います。
ただ、それがとても難しいんです。
なぜなら、自我というフィルターがあるからです。
例えば、子どもに対して「なんでこの時間に寝てくれないの」「なんで片付けたのにすぐに汚くするの」…という自我のフィルターが一回入ってしまうとこうして欲しかったいう見返りや期待を求めてしまいます。
これが冒頭に話した「人を機能として見てしまう」思考と繋がります。
そのフィルターをかけないことが大切なのはわかりますが、それはこだわりを捨てることであり、こだわりとは=<自分の個性やアイデンティティ>を捨てることと同じになります。
答えを急がないことの大切さ
生の人間として見ることはとても努力と忍耐が必要です。特に大切なのは一つの尺度で見ないことです。
「悪い人もいないし、良い人もいない」
こういう思考で人をみるのは努力が相当必要です。しかし、この努力する姿勢が「寄り添う」ことにつながると信じています。
簡単に人を評価も判断もしないこと。
すぐに決めないこと。
幕末で活躍した新撰組の視点、土佐藩の西郷隆盛の視点、黒船来航ペリーの視点、長州藩の高杉晋作の視点、龍馬の視点…などが非常に分かりやすいですよね。
誰が正しいとか、誰が間違いとかないんです。
そんな安易なフレームワークとテンプレートを捨てることがこの歳になって、父親になって分かったことがとても大きいと思います。