Ryota’s diary -日々のあわ-

不定期ですが、これから考えたこと、チャレンジを受けたこと、びびったこと、嬉しかったことなどの日々の出来事を書いていきます

自由をどう活用するか

今回は「自由」というものを整理して理解した上でサッカーのプレーモデルを形成した方が良いと思う話をします。

 

①自由とは何か

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色々と諸説はありますが、資本主義登場以前にはうつ病統合失調症もなかったらしいです。

 

資本主義の特徴として
自由がある
権利がある
生産性の向上
です。

この影響によって、うつ病統合失調症が出てきたと言っている方がいて、正確なデータや根拠はないにしても、あながち否定できないなぁと思います。

それは自由がなければアイデンティティの喪失という概念も起こりにくいはずですよね。

また、自由なためにあらゆる選択肢が求められます。選択があるからこそ「良い選択」「悪い選択」が生まれてきます。だから悩んで困難な状況に陥ります。…というが今の時代に確実に当てはまります。

だからといって自由がない時代に遡るとそこには「奴隷」という概念があります。黒人はもちろん、女性というだけで人権はありませんでしたからね。

 

なので、自由があるとうつ病があり、自由がなければ奴隷があります。

 

「どちらがよいか?」という問いには正解がないんです。

急に具合が悪くなる

急に具合が悪くなる

 

 

②サッカーは社会の縮図
 

サッカーも同じように正解がないスポーツです。最近、社会経済学というジャンルを学べば学ぶほど「これ、サッカーにも当てはまるよね」ってことが多々ありました。

大きなピッチの中で、一つのチーム(社会)が、競い合うチームに対して、ルール(法律)という制約の中で「自由」に動くことを許されています。

この「自由」がとても厄介で、失敗をすることは前提でチャレンジしなくてはいけませんし、その度に次へ、次へと進んで行かなければ、生き続けていくことは出来ません。
 

では、次に進むためにはどのような知識が必要でしょうか。そして、どのような思想や理念が必要でしょうか。それに対してどのような決断をしていく必要があるでしょうか。

 

これがサッカーにおけるチームのコンセプトやプレーモデルに当てはまると思います。


また、他人と協力してプレーをすること(生きていくこと)も出来ますが、一人で生きていくことも出来ます。

ただ、面白いことに一人でプレーする(生きている)と思っている人間は、実は決して一人でプレー(生きて)してはいないのです。ここが社会で生きることにとても繋がっている気がします。

 

*大好きな著者であり編集者の佐渡島さんが「人は孤独である。しかし、1人ではない〜We are lonely,but not alone.〜」ということ語っていてなるほどなぁと思わされます。

 

 

 


①②を踏まえて考えることは「何をしないか」

 

今回の結論ですが、なんでも自由ではなく型を作ってからそこで自由な判断やアイデアを出すことがとても大切だということです。それには何をしないかを決めることが重要です。

 

なにをしないのかを決めるのは、
なにをするのかを決めるのと同じくらい大事だ。
──スティーブ・ジョブズ

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また、ビジネスの基本戦略で大事なのは「何をするか」ではなく、「何をしないか」を明確に決めることと言われています。

なぜなら、当たり前ですが、経営資源(ヒト、モノ、カネ、情報、ネットワーク)には限りがあるからですね。

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サッカーでは、ピッチのエリアを区切ったり(5レーン)、ポジションで選択を決まりする(ポジショナルプレー)など工夫が必要です。

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また、監督の意向だけではなく、チームのコンセプトやビジョンに基づいて戦術を決めていくことが今後スポーツマーケティングにおいてはとても大切だと感じています。

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自由とは何か
自由がいつ生まれたのか
自由以前には何があったのか

 

様々な側面を理解しておくことで、サッカーにおける自由、そして今の時代を生きる自分自身の自由の在り方を考えられると考えています。