自分という概念
自分って何だろう。
そう思うことは必ずある。
他人と比べ、自分が分からなくなって苦しい時期や自分を探すために一人旅することもあるはず。けど、それでは見つからない。
だって自分はそこにいるのだから。
そして自分という概念が分からなければ愛など分かるはずがない。(愛とは「あなたが好き」とか「愛してる」とか「結婚したい」ということではないと自分は考えている)
そして、その結果、自殺問題まで行くことになる。(日本は年間3万人の自殺者)
人間は、生きていくためには、どうしても自分を肯定しなければならない。自分を愛せなくなれば、生きていくのが辛くなってしまう。しかし、自分を全面的に肯定する、まるごと愛するというのは、なかなかできない。よほどのナルシストじゃない限り、色々嫌なところが目についてしまう。
ただ、「誰かといる時の自分は好き」と言うことは、そんなに難しくない。その人の前での自分は自然になれる。明るくなれる。生きてて心地が良い。全部じゃなくても、少なくとも、その自分は愛せる。
人間関係も、環境も、自分の目に見えているものはひとつかもしれないけど、「自分」ですらひとつじゃない。世界はひとつじゃない。自分は世界にひとつだけの花じゃない。自分は、世界は、花サイドじゃなくて、花を見る目のほうだ。
「他人や環境のなかにいる自分をどう見るか」の視点と、「他人や環境をどう見て、自分にどう影響、反映させるか」のレンズとアンテナがあれば、「自分」はコントロール可能なのだ。
このような概念があれば自分を愛することは可能であり、生き方も定められる。
自分は、誰と過ごす時間を多く持つべきだろうか?誰と一緒にいる時の自分を、今の自分の基礎にすべきだろうか?
30代に入り改めて誰といるかを考えることが多くなった。
誰とどうつきあっているかで性格、個性にも変化があるはずだし、個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。この人といる自分、この環境でいる自分を愛せるという選択を日々の生活でしていくこと。
それが愛だと思う。
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ。」という有名な言葉も「隣にいる人と一緒にいる自分」を愛せば見方も目線も変化していくはず。