Ryota’s diary -日々のあわ-

不定期ですが、これから考えたこと、チャレンジを受けたこと、びびったこと、嬉しかったことなどの日々の出来事を書いていきます

おせっかいは救い

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プロフェッショナル 仕事の流儀 -傷ついた親子に幸せを~小児神経科医・友田明美 - を観て改めて感じることが多々あった。

 

上の画像見てわかると通り、親だけではなく指導者の暴言で選手の主体性奪ってんだぞ、ボケ。

 

 

友田さんの言葉から出てくる自己肯定感と安心感。そして救いたいと想う熱量。側から見たらおせっかい。けど、そのおせっかいこそが人を救うのだ。

 

 

 

 

最近自分は「好きな人と生きる」ということを考える。

 

かつて、俺はなんでも自分ひとりの力でやることをよしとするタイプの人間だった。

 

なので「ひとりで生きていく」という感じ。

 

その頃は目つきが今よりキツかった。

精神的な余裕もなかった。

 

それがサッカーの指導にも、教師をしていた時は教育の指導でも、自分が正しい。と思い込んでいた。これはいわゆる同調圧力ってやつだ。選手や子供達はサッカーも授業も楽しんでやる人はおそらくいなかっただろうなぁ。

 

 

ただいろいろなことにぶつかり、悔しながら降伏をして「これは自分には無理です!」とお手上げ状態を晒したら、全方位から助け舟が差し出された。他者の意見を受け入れることで心の深みが生まれたのだ。

 

これの深みこそが恵みってやつなのかもしれない。

 

だからこそ思うのが

共に生きる。

ということ。

 

 

もちろん相手の全部を受け入れられるわけではないし、傷つくこともあるけど、間違いなく得るもののほうが多い。

 

お互いに理解していき、同じ方向に向かっていくこと。

 

難しいかもしれないけど、自分を全部さらけ出すことで受け入れる幅が増えると思う。

 

自分を封印することは、自分に対する虐待になる。自分の人生を生きるってことは「このことなかったこと」にはできないのだ。

 

嫌われても構わない。

そのかわり俺のことを好む人や俺は好む人は全員引き連れて生きる。

 

おせっかいしまくる。

 

同じ熱量で人生を共にしたい。

その方が祝福が増していく。

違うことは祝福だから。