自分なくし
最近「自分探し」とか「自分とは何者か」とか本当どうでもいいかなっと思っている。
それはそんな理由なんて必要なしにあなたは存在しているし、自分も存在しているから。
いちいち探さなくてもあなたはそこにいる。
いちいち探さなくてもわたしはここにいる。
そもそも自分探しの旅って一生見つからないんだと思う。自分はここにいるんだから。けど、それでも探さなくてはいけない自分なんて、本当は存在しない自分。
つまりはでっち上げた自分
結局それは
他人の目を意識して必要としているもの
それで、その他人の目を意識した自分を演じながら「他の人がやったことの無いことをして自分の個性を確立したい」とか言い出す。
もうその発想自体が没個性。
もしあなたがすでにでっち上げた自分を持っていたとしたらそんなものは捨ててしまえばいい。
そのでっち上げた自分は必ず、本当のあなたの行動を邪魔するし、それは単にプライドの別名です。
だから、「自分なくし」というのはブライドを捨てること。
プライドや社会に刷り込まれた概念を捨てていけば、個性なんて自然と出る。
個性とは自分が何かをやりたいと思う気持ちです。そしてあなたのやりたいという気持ちに、理由なんて必要ありません。
それはあなたが存在するのに理由なんてないのと同じなのです。
自分はサッカーを通して居場所を創り続けたい。心がホッとなれるような、人生が肯定的に生きていけるように。
好きなことに理由なんていらない。
やろう。
やり続けよう。いつもワクワクしよう!
アイディアには価値はない。
行動にこそ価値がある。
進もう。
失敗なんて怖くない。
自分をなくせ。ブライドなんて捨てよう。
それでも熱狂しながら進もう。
俺は行くよ。