Ryota’s diary -日々のあわ-

不定期ですが、これから考えたこと、チャレンジを受けたこと、びびったこと、嬉しかったことなどの日々の出来事を書いていきます

考えるとは -川口竜太の指導論その①-

そもそも考えるって何だろう。


多くの指導者が選手に「考えなさい」「考えてサッカーしなさい」とコーチングしていますが、「考えて」というコーチングは「頑張って」や「努力が足りない」と同じように、その言葉自体には何の意味もないと思います。

 

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つまり「考えて」とか「頑張って」とか「努力が足りない」という言葉を使う時、コーチングした指導者にも何かしら選手に伝えたい気持ちはあると思いますが、ただそれらの言葉は具体的ではないので、受け取った選手側にはやりようがありません。ですのでもっと思考が停止してしまいます。

 

 

「考える」も「頑張る」も「努力する」も、言われた選手側は最終的に考えたり、頑張ったり、努力したりした「結果」でしか評価を受けることが出来ない状態になってしまいます。

 

 

その「結果」によって、今までの過程を否定されてしまうので選手から自由な発想が生まれにくくなってしまいます。

 

 

そんな選手が魅力的になるはずがない。

 

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ですので「考える」っというのは《頭の中の知識を組み合わせる》ことだと捉えています。

 

 

そもそも人に教えるというのは
「考えてもらうためには、『考えられるだけの材料を相手が持っているか』を教える側がきちんと把握していなければならない」
ということではないでしょうか。

 

例えば、青と白の絵具しか持っていない人に「どうすれば緑を作れるか」を聞いても考えつくはずがないのです。もっといろんな色があることを伝えるのも指導者ですし、「混ぜる」という行為を伝えるのもまた指導者の役割です。

 

しかし、青と白を真剣に混ぜているのに「なぜ黄色を使わないんだ!」と突然怒り出すような人がサッカー指導者は多いような気がしますし、そうなると選手は考えること自体をやめてしまうようになっていきます。

 

 

親や指導者ではなく、自分で判断するのがサッカーの面白い部分ですし、その楽しさ・奥深さを伝えていきたい。

 

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ですので、私は選手一人ひとりがその瞬時において正しく自分で判断・決断できるように日々のトレーニングで指導しております。

 

 

指導論その②に続く…