教育と学ぶことは違う
人を教える仕事なのでいつも考えること。
「教育ってなんだろう」
現代社会において大切な価値観の一つ「多様性」。
さまざまな傾向、資質を持った人たちがあつまらないとシステムとしても力を発揮できないし、社会全体としての頑健性も増すことがない。同じであるというモノカルチャーは安心感はあるかもしれないが、発展性がない。
破壊的イノベーションは、集団の中にさまざまな個性をもった人がいることで初めて起こすことができる。
だからこそ、異質な他者に対して寛容である必要がある。
けど、今の教育では個性は消え没個性の量産化になっている。
生徒は黒染めに応じていたが、色が戻るたびに染め直すよう指示され、2年次の16年9月には黒染めが不十分だとして授業への出席を禁じられた。翌10月の修学旅行への参加も認められず、現在も不登校が続いているという。
学校では、「育てたい力」とか「目指す生徒像」とか頻繁に言われる。もちろん大事なことだ。でも、それがあまりに多かったり細かかったりするのにはすごく違和感がある。結局、子どもたちをみんな同じような型にはめようとしてしまっているように思えて。
— 苫野一徳 (@ittokutomano) 2017年10月23日
「大きな声ではっきり返事ができる」「立ち止まってお辞儀ができる」「スリッパを揃えられる」「人の目を見て話が聞ける」……もちろん大事なことだ。でも、みんながみんな、これらを徹底できなければならないんだろうか。「目指す生徒像」を細くすればするほど、それができない子たちを苦しくさせる。
— 苫野一徳 (@ittokutomano) 2017年10月23日
闇だらけだ。
— 内田良/学校リスク研究所 (@RyoUchida_RIRIS) 2017年10月23日
●教諭が生徒の着替えを盗撮
●校長と教頭が,盗撮動画の消去を指示(=犯人隠避と証拠隠滅)
●消去の理由は「部活動の実績もあり,学校になくてはならない存在だった」
▼中学校の校長と教頭 盗撮の証拠動画の消去を指示かhttps://t.co/8iRlGLMYkV
正直、今の学校の教育の在り方ってどうなんだろうって思う。
学校なんて、一つは子どもの保護。そしてもう一つは、彼らを「望ましい工場労働者」へと育てあげることにしか見えない。
普通に暮らしている限り、「常識」という教義の危険性に気づく機会は少ない。
それは「常識」の洗脳が、国家ぐるみで行われているから。
国家は、全国に4万6,000箇所もの“出先機関”を設け、この国で暮らす人たちすべてをその魔の手にかけている。その出先機関とは、「学校」じゃないのかな。
そもそも学校は、工場の誕生と連動して作り出された機関
「我慢すること」を美徳と掲げる日本の教育。
自分の好きを大切にすることはだめなの。
いつも反対されるけど、本当に学校なんか行かないとあかんかな?
— KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017) 2017年8月5日
好きなら行けばいいと思うけど。
何やろ。もっと自由で良いんちゃうかな?
仕事は辛いものだとか、結婚生活とはこんなものだとか、ひととひととは分かり合えないものだとか、後ろ向きな意味での『こんなものだ』に負けた瞬間から、ひとは老いるのだと思う。人間は、多分、自分が決めただけ幸せになれる。奇跡は何度でも訪れる、そこには『こんなものだ』という天井はないんだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2017年4月25日
『そんなの社会で通用しない。』という馬鹿共に伝えたいのは、小学生にとって社会は学校だし、中学生にとって社会は地元だ。高校生は同世代が社会で、大学生になると"社会"が社会になるが、そっから先の社会は超多様。人の数だけ社会がある。お前のいる小さな社会の物差しで他の社会を測れると思うな
— カリスマ無職(20) (@taichinakaji) 2017年10月16日
やりたいことをやればいい
シンプルで単純。
勇気とか決断とかではなく、やればいい
そこを教育しようよ。まぁ無理だけどね。
だから、学ぼう。
教育は終わり。これからは学びだよ。
俺はもう若くない。
だからこそ上の方ではなく若者から学ぶよ。
これからの時代…
つまらない授業でも「我慢」して聞くこと。
欲しいものを「我慢」して貯金すること。
いやな仕事でも「我慢」して勤め続けること。
その全ては時間の無駄じゃないのかな。
過労死問題やいじめ問題を引き起こしているのも、親、学校、そして社会全体から絶え間なく「脅迫」され、「我慢する癖」をつけられてしまったせい。
間違いないよ。
ハッキリいうけど、学校教育なんて意味ない。
時代は変わろうとしている。ものすごいスピードで。
学ぶこととは学校でおとなしく座っていることなんかじゃない!
学ぶこととは、子どもの頃のように「ハマること」つまり大人にとってはちっとも面白くないようなことにも「没頭する」こと!
もっと夢中になろうよ。
好きなことを大切にしようよ。
てか「食える」ってのがイヤだ。前職時代からずっとイヤだ。子どもたちが夢中になっている絵や歌やサッカーを「でもこれで将来食べていけないでしょう」と否定してしまう大人がめっちゃイヤだったんだ。
— 真崎 (@masaki_desuyo_) 2017年4月11日