Ryota’s diary -日々のあわ-

不定期ですが、これから考えたこと、チャレンジを受けたこと、びびったこと、嬉しかったことなどの日々の出来事を書いていきます

教育と学ぶことは違う

人を教える仕事なのでいつも考えること。

 

「教育ってなんだろう」

 

現代社会において大切な価値観の一つ「多様性」。

さまざまな傾向、資質を持った人たちがあつまらないとシステムとしても力を発揮できないし、社会全体としての頑健性も増すことがない。同じであるというモノカルチャー安心感はあるかもしれないが、発展性がない。

破壊的イノベーションは、集団の中にさまざまな個性をもった人がいることで初めて起こすことができる。

 

だからこそ、異質な他者に対して寛容である必要がある。

けど、今の教育では個性は消え没個性の量産化になっている。

 

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生徒は黒染めに応じていたが、色が戻るたびに染め直すよう指示され、2年次の16年9月には黒染めが不十分だとして授業への出席を禁じられた。翌10月の修学旅行への参加も認められず、現在も不登校が続いているという。

 

 

 

正直、今の学校の教育の在り方ってどうなんだろうって思う。

 

学校なんて、一つは子どもの保護。そしてもう一つは、彼らを「望ましい工場労働者」へと育てあげることにしか見えない。

普通に暮らしている限り、「常識」という教義の危険性に気づく機会は少ない。

 

それは「常識」の洗脳が、国家ぐるみで行われているから。

 

国家は、全国に4万6,000箇所もの“出先機関”を設け、この国で暮らす人たちすべてをその魔の手にかけている。その出先機関とは、「学校」じゃないのかな。

 

そもそも学校は、工場の誕生と連動して作り出された機関

 

「我慢すること」を美徳と掲げる日本の教育。

 

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kawaguchiryota.hatenablog.com

 

 

 

 

自分の好きを大切にすることはだめなの。

 

 

 

 

 

 

やりたいことをやればいい

 

 

シンプルで単純。

 

勇気とか決断とかではなく、やればいい

そこを教育しようよ。まぁ無理だけどね。

だから、学ぼう。

 

教育は終わり。これからは学びだよ。

 

俺はもう若くない。

だからこそ上の方ではなく若者から学ぶよ。

 

 

 

これからの時代…

 

つまらない授業でも「我慢」して聞くこと。

欲しいものを「我慢」して貯金すること。

いやな仕事でも「我慢」して勤め続けること。

 

 

その全ては時間の無駄じゃないのかな。

 

 

過労死問題やいじめ問題を引き起こしているのも、親、学校、そして社会全体から絶え間なく「脅迫」され、「我慢する癖」をつけられてしまったせい。

間違いないよ。

 

 

ハッキリいうけど、学校教育なんて意味ない。

 

 

時代は変わろうとしている。ものすごいスピードで。

 

学ぶこととは学校でおとなしく座っていることなんかじゃない!

 

 

学ぶこととは、子どもの頃のように「ハマること」つまり大人にとってはちっとも面白くないようなことにも「没頭する」こと!

 

もっと夢中になろうよ。

好きなことを大切にしようよ。